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2015年2月 3日 (火)

伊都の鏡。

 

 

 

- 伊都国(いとこく) で生まれ育ったゲストが、熱心に伊都の国の研究をしている - 

 

 

この日は貴重な “ 鏡 ” を 手土産にと、ご登場くださった。

2015013100

  

内行花文鏡 を 再現した、糸島の和菓子職人がいらっしゃるという。

院生ゲストの研究結果の説明は、福岡の歴史を楽しく、強い興味をもたせてくれる。

〈私は 学生時代に大の苦手だった日本史を、この歳にして 楽しく思うようになった〉  

 

 

 

内行花文鏡(ないこうかもんきょう)  

後漢代の中国や、弥生時代から古墳時代にかけて 日本で製造された銅鏡。

福岡県平原方形周溝墓出土品の中に、直径46.5cm、 重さ 8㎏ の内行花文鏡があり、

現在までに 日本国内で出土した銅鏡の中で  日本最大の大きさ  である。

“ 日本一、大きな銅鏡 ” は、 糸島市/福岡県にある伊都国歴史博物館内の

「現代と伊都国をつなぐタイムトンネル」  の先に常設されている。

糸島市には国指定の史跡が 7つもある。

 

 

伊都国 (いとこく)

『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』 にみえる倭国内の国の一つ。

『魏志倭人伝』 によれば、福岡県糸島市、福岡市西区(旧 怡土郡) 付近ではないかと聞く。

糸島市三雲を中心とした糸島平野の地域に “ 伊都国があった ” とする説が有力。

弥生時代 中期後半から終末期にかけて 厚葬墓(こうそうぼ)(王墓)が連続して営まれており、

それが三雲南小路遺跡 ・ 平原遺跡である。

井原鑓溝遺跡は遺物の点から 「将軍墓」 の可能性が高いとも云われる。

 

 

平原遺跡 (国の史跡)

福岡県糸島市にある弥生時代後期のものと考えられる遺跡。

弥生時代後期から終末期の5つの墳丘墓を合わせた名称。

その1号墓の副葬品の中には日本製と中国製の破砕した銅鏡片が多数あり、この 「王墓」は、

「女王墓」ではないかと云われている。 

  

 

平原遺跡 (ひらばるいせき)

JR筑前前原駅、波多江駅から、糸島市コミュニティバス曽根グラウンド行き乗車、

「平原古墳入口」 下車 2分。

 

 

 

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